名作住宅に学ぶ 増沢洵「最小限住居」1952年
No.9 / 49
9坪の家
建築面積9坪、延床面積15坪。戦後まもない東京に、1人の若い建築家が自分の家族のために建てた住宅は、その小ささにもかかわらず、日本の住宅史のなかで繰り返し参照されてきた。本稿では、この家の断面と平面をたどりながら、限られた床をどのように配分したかを見ていく。
1建築家と、その自邸
増沢洵(1925〜1990)は、アントニン・レーモンドの事務所で実務を積んだ建築家である。最小限住居と呼ばれるこの自邸は1952年、小田急線東北沢駅に近い敷地に建てられた。設計に2か月、工事に3か月という短い期間で完成している1。
平面は1階が9坪。2階建てとすれば床は単純に18坪まで取れるが、増沢は2階の床のうち3坪を張らなかった。延床面積はそのぶん減って15坪となり、1階の居間の上には、屋根裏まで届く吹抜けが残された2。
23坪の吹抜け
9坪の家にとって3坪は、部屋を一つ持つか持たないかという差に等しい。それを床にせず空間として残したことで、居間は2層分の天井高を得ている。2階の部屋は吹抜けに面しており、上下の階は壁で完全に仕切られることなく、同じ空気のなかにある。
この家が戦後住宅の秀作とされてきた理由も、この点に求められる。2階建ての高さを使って部屋を分けながら、同時に開放性も確保した。床面積という数字の上では小住宅でありながら、断面に余白を持たせることで、実際の広がりを数字以上のものにしている1。
外形は、1階と2階の輪郭がそろった切妻の箱である。凹凸が少ないため、材料の無駄も手間も抑えやすい。上下の壁の位置がそろうことは、構造の面でも素直な形といえる。
39坪ハウス
最小限住居の構成は、のちに家具デザイナーの小泉誠によって「9坪ハウス」として設計し直され、現代の住宅として建てられるようになった3。半世紀を隔てて同じ考え方がふたたび住宅として求められたことは、この構成が一時代の事情だけに結びついたものではなかったことを示している。
4いまの敷地で描いてみる
住宅プランナーの自動設計には、この構成を手本にした「小さな総2階と吹抜け」という型がある。凹凸のない総2階とし、南側の居間の上を吹抜けにする。階段と水まわりは北側に一列に寄せ、玄関は土間として廊下を設けない。下の図は、150平方メートルの敷地と、大人2人・子ども2人の家族を条件として、この型で描いた叩き台である。
イラスト:住宅プランナー。住宅プランナーの自動設計が描いた叩き台で、最小限住居の図面を写したものではない。
広さは原作の15坪ではなく、家族の人数から決めている。子ども部屋が確保できないほど狭くなる場合には、吹抜けは入れない。2階の床を減らすと耐力壁の配置にも影響するため、建てられるかどうかは、敷地の条件と壁の量から判定した見込みとして示す。
この型で、自分の敷地に描く
住所と家族の人数を入れると、この型で叩き台を描き、建つ見込みと金額の幅を示します。
「小さな総2階と吹抜け」で設計する無料。叩き台であり、最終的な可否と金額は住宅会社が決めます。
付記
住宅プランナーが借りているのは、床を減らして吹抜けに回すという考え方のみで、原作の寸法や部屋割りは用いていない。建築家の作品を図面どおりに建てることは、著作権法上の複製にあたる場合があるためである。
注
- 「増沢洵」Wikipedia。竣工年、設計・工事期間、吹抜けの評価。https://ja.wikipedia.org/wiki/増沢洵
- 「増沢洵とは?最小限住居と9坪ハウス」家づくり百貨。建築面積・延床面積・吹抜けの坪数。https://iedukuri100.com/masuzawa-makoto-minimum-house/
- 「増沢洵の『最小限住居』(1952)をリメイクした小泉誠による9坪ハウスの展開」CiNii Research。https://cir.nii.ac.jp/crid/1520854805963687296
2026年9月27日確認
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